まとまりのない〆になっ

毎日、健康にいきましょう、と、その人とまとまりのない〆になった。
話していて、あらほんと、あと30年も?と意外に長いことにビックリ。
最後の5年を引いて、あと25年ぐらい、どうしようpico 去斑??
と話しながら、趣味の運動を続けようね、と落ち着いた。
まだまだ毎日、新しい筋肉痛が起こる現状を嘆くと、筋肉は使わないと衰えるらしい。
だから筋肉痛はwelcome、嬉しい状態なんだそうな。
だがしかし、、、その人物にわたしはただ今、モーレツにシゴかれている。
バリバリ体育会系のその人に。
お手柔らかに、ほどほどに、とお願いしているのだが、容赦ない特訓は続く。
いつまで、どこまで、行くのか?
まあ運動系なので、悪の道には突き進まないことは確かだ。
頑張ろうね、と、励まし合っている。

他の、趣味運動仲間の年配の皆様とも、慰め合い、励まし合っている。
(労わり合いは、まだするに至らない)
皆さん、運動会場の姿と、帰宅時の姿は10歳ぐらいの差がある。
帰る時は、歳相応のお年寄りに雪櫃哪個牌子好
シンデレラのドレスはボロ普段着に、馬車は、かぼちゃになってしまうかんじ?
魔法は解けてしまう。
ではあるが、魔法が効いている間にイキイキと運動に勤しむ。
悪くはない。
若さを保つために頑張るのではなく、楽しむために身体を動かす。
結果的に、心身の健康を保つ。
あまり健康オタクみたいな、目的にとらわれすぎるのは、しんどい。
タスクように課すのは疲れる。
自然がいい。
やりたいように、したいように。
mustマストでもなく、betterベターでもなく、as you like.
楽しく、ちゃらんぽらんに。
目指したり目標にしたりするのも張りがあって良いが、自然体がわたしは好き。
サボりのわたしは、自由解放の中で、遠い目標に向かっている中一收生

にはわからないと思

以下は、あくまでも「わたし」に関して。
読んで欲しくて書くのではない。
書いた結果、それが読まれるのは悪くない。
読んで読んで。わたし、わたし、とアピールしたいわけではない。
さらに、複雑めんどくさいのは、書いたくせに読まれたくない、という場合もある。
なら、書いてもアップするなよ、ということになり、その摩訶不思議な心境は人にはわからないと思うが。
深情、情熱の発露の結果が、文章の山。
ダラダラでも良い。

書いて封印しているものもある。
実は隠し子のように、若かりし日に創設した別ブログがなんと、あと2つもある。
ほぼほぼ閲覧数は限りなくゼロに近い幽霊ブログなのだが。(誇張ではなく)
わたしがこの世を去る前に、指が動かなくなる前に、目が見えなくなる前に、消滅させておかねば。
ネット宇宙のゴミは早めに撤去すべきなのだが去眼紋、、、。
パスワード的なものを探すのが面倒。
そのうち、そのうち、と、放置したまま。
ひょっとすると、また書き溜め用にキープしておくかも知れない。(が、時間的に、それはない)

何しろ、脳がおしゃべりなのだ。
ピーチクパーチクうるさくてしかたない。
これは次から次へと脳に浮かんだまま脳外に出してお掃除しないと、脳がパンクしてしまう。
ゴミ屋敷化してしまう。
だが、ゴミは行政の決めた時間、場所に出さないと、不法投棄は罪になる。
そもそもわたしは、そんなヘイトスピーチ的なものは、アウトプットしない常識ある社会人である。
というか、自分自身が不快になる。
暴力は嫌い。
アントニオ猪木は良い人だったとしても、わたしはプロレスやボクシングは好きになれない。
女の子的なものが好き。
お花だとか、お人形だとか、布、服、光り物、調度品、工芸品、綺麗な優美なものが好き。
美術(建造物、絵画含む)、芸術(音楽、ダンス含む)、映画も好き。
キレのある斬新なもの(テーマ、題材、切り口、空間、建造物)も刺激を受けるct檢查
最近は、「自然」も好き。「大自然」なら大感動。
美しい自然の中に身を投じると幸福感に満たされる。
なので、プロレスとかは無縁なのだ。

とかとか、などなど、、、読む人のことなど全く眼中にないことを延々と脳内から流れるままに綴っている。
ではあるものの、自分が気持ちいいものだけを摘んでアウトプットしている。
とは言え、その日の気分、ノリによっては、マイナス感情、鬱憤を吐き出して、ストレスを発散している。
何かを通して、発散するプロセスは、プロセスやボクシングファンと共通しているかも知れない。

わたしの場合、脳内にある「不安事項」は、脳内にだけ留めることが多い。
書きたくなるような「不安事項」は、書く場合もある。
選択には法則やルールはなく、気分次第。
常に自分を冷静に見つめている自分と同時進行して生きている。
子供の時からである。

言語を自覚したのは、わたしが幼稚園ぐらいの時。
思ったことが、音や文字として現れずに脳内にどんどん流れるように出現する。
その時は、脳内だとは気づかず、知らず、もわっとした空中のような空気のようなものから現れた。
この感覚は、2番目孫が4歳ぐらい?の頃に、わたしに話してくれたことと似ている。
彼は、「K(自分のこと=僕)は、思っているけど言ってないだけ」と拙い言葉で口にしたが、わたしは彼の感覚を理解した。
言語とこうやって共に歩むんだ、成長していくのだ。
思うこと、考えること、感じること、それをアウトプットする人と、しない人、また、したくない人、出来ない人がいる。
アウトプットの方法も、いろんな手段、方法がある。
表情、動作、所作、行動。
行動にも、その場の瞬間的な行動と、中期、長期的な行動がある。
生理的、抑圧的、能動的、自発的、強制的、思考的、計画的藍牙助聽器、、、
暴力や人助け、芸術、、、幅広い。
また、意識した場合と無意識の場合がある。

を守る役目を夫に託

ある家では、娘一家との同居や孫守がなくても、おじいちゃんの実家を守る役目を夫に託している。
この奥さんは、わたしがよく知る人物。
大義名分は、最初は妻は仕事醫學美容
だから夫の実家に付いていけない。
妻が仕事を辞めて、次の第二の仕事場が、夫の実家に近くになってしまった今も、そして、子供なんかとーーっくに独立して出て行っている今も、夫と妻は別々に暮らしている。
時々、合流している。
仲良し協力体制。

夫は夫の実家へ。
実家で後継ぎとしての男の役割がある。
妻は自分の家で子供や孫を育てる。
2つにコースが分かれる。
もちろん、喜んで奥さんが付いていくこともあるだろう。
行きたいのに健康的理由で行けなくて悔しい思いをしている人もいるだろう。
奥さんの実家に奥さんが家を守りに行き、夫が付いていく場合も、付いて行かない場合もあるだろう。
価値観や、状況は、人それぞれで、一つの型に入れて決めつけられない。
(※介護が終了した例になっている)


ちなみに、、、
ひと昔前に、定年後、東南アジアなど日本より物価の安い地に夫婦で移住することが話題を呼んだ。
妻たちは、現地を引き上げてしまったという、その後の話も聞こえてくる。
最初に付いて行かないという選択肢もある。
日本国内でも田舎暮らしに憧れて、定年後移住するものの、閉ざされた地域での住民と仲良く暮らすのはかなりの努力を要するthermage 效果
高齢になれば、医療機関と遠くに立地する場所では持病に見舞われたりすると、不便であるし緊急事態に対応できない。
リタイア後の、若い高齢者は元気いっぱい、夢いっぱいだが、90歳に近くなると体力的にキツイ。

ある親戚は、都会から離れた別荘に通っていたが、もう無理のようだ。
子供が小さい頃は一家で通い滞在していた時期もあっただろうが、定年を迎える年齢になる息子たちも、両親が手に入れた別荘をあまり喜んでいるようには見えない。
負の遺産か。

親の思い入れは子供に伝わっていないことがある。
情熱がない。
負の遺産ははやく処分したいことだろう。
「ぽつんと一軒家」のおじいちゃんが最後まで頑張って守ってきた山の家も、おそらく今のおじいちゃんが体力、気力が尽きるとそれで終わりだろう。
殊勝な奇特な孫が現れて、わたしが後は維持します!とでも手を挙げない限り。

街に暮らす、核家族の人なら、別に受け継ぐものもなく(負の遺産も、正の遺産も)、自由に心身が解放される。
好きなように生きられる。縛りがない。
健康が許す限り、黄金時間を堪能して味わい尽くしてほしいものだ。
大金がなくても、こころは自由。
山歩きをするなり、行政サービスを利用するなり、そんなに大金は要らないと思う緊致肌膚
健康と、マインド!
ただし、健康に翳りが見え始めると、こころも弱る。

今はまだ大丈夫なので、弱ってから考えよう、っていうのは、後手に回り過ぎか?
今から考えて準備することが生き甲斐だったりして、、、(健康オタクのように)。
幸か不幸か、わたしはそういうタイプではない。
なるようにしかならない。
なるようになる。

持っていかなければ

一日中自由な時間をまったり満喫している。
これは最高に満ち足りた気持ち。
好きな時に好きなものを飲み、食べる。自分だけのために。
自分の好きなTV番組を自由にのびのび、熱心に見る比堅尼脫毛
しかし365日これだと、絶対に退屈するだろう。
目前に控える年末年始、家族大移動がアタマをよぎる。
タオルはどうしよう?こちらからある程度、持って行こうか?
シーツ、布団はだいたいはあるものの、大丈夫か?
食品はオーダー品の他に、うちから持ち運ぶものや、むこうで買うもの、あれこれ。
調味料も一つ一つ、ケータリングのように持っていかなければ。
正月のお飾り、設は??
?????
アタマの隅っこでチラチラし始めている。
が、テコでも動かず、自由時間を無理矢理満喫しようとしている自分がいる。
追い詰め、切羽詰まらないと動かない收細毛孔
前倒しで毎日少しずつ準備したら、楽だし、忘れたり失敗もないのに。
でも動かないわたし。
さすがに、じわじわお尻が熱くなりそうな気配。
だが、無理矢理、今日もまったりするぞー!!と、へんに自分にハッパをかけている。
全く優雅でもなんでもない。
宿題をしないで無理無理、苦しそうに遊んでいる小学生孫のようだ。

罪の意識からか、罪滅ぼし、免罪符効果を無意識に求めてか、今朝は夫のシーツや枕カバーを洗濯した。
こんなことで、サボりが紛れるならあまりにも自分の存在意義を軽視しすぎか。
わたしは軽いからそれでいいのだ。
今日はシーツ洗濯したから、100点!
(洗濯機がやってくれる。水だってはるばる運ばなくても、蛇口を捻ると出る)

とは言いつつ、贅沢な自由時間というものは、制約があってこその贅沢だということ、、、小学生孫だってわかる755 脫毛

記事内容もそれなりに若

それと、、、
お読みになる方がわたしの年齢が上がるのと同時に、歳を重ねる。
わたし同様、若くないと思われるMedilase
なので、ピックアップ記事が上がった年齢に相応しい内容のものになる。
その年齢でこそ感じること。
その2つの側面から、安心して過去記事が読めるのだと思う。

かつての、今より若い年齢の時は、お読みになる方もわたし同様に若く、記事内容もそれなりに若い。
老境が理解出来ない年齢のもの。
痛々しかったり、けしからん内容だったり、今に比べると、若気の至り。
世の中の若者を嗜めるより、自分の若い時は最もわかりやすい「来た道」の実況見本だ。

しかし、過去の自分に、現在の自分が励まされたり、諭されたりするなんて、思いもしなかった。
ブログの想定外の副作用だ。
将来の自分もまた過去の自分から見て拍手されたり、労われたりするのかも知れない。
過去の自分を見ては、こんな元気な時もあったなあ、、、と懐かしむのだろう。

過去のわたしから今のわたしに「頑張ったね!」と。
今のわたしから過去のわたしに「頑張ったでしょ!」と。
将来のわたしから今のわたしに「若いね」と。
今のわたしから将来のわたしに「年とったね」と按摩機推薦


わたしは、人生100年時代だというのに、まだ3分の1も残っているというのに、、、
朝、好きな時間に起きることの贅沢に酔いしれている。
夜、好きな時間に寝ることもまあ、悪くない。
最近は寒くなってきたので、あまり夜更かししない。
ゆっくりお風呂に入って体を温めて寝ると更に幸福感は増すのだが、一人だけお風呂の湯を張るのになぜか抵抗がある。
たんなる気分屋なのだが。
もっともっと寒くなると、自分だけのためであってもお風呂を沸かすだろう。

一日中自由な時間をまったり満喫している。
これは最高に満ち足りた気持ち。
好きな時に好きなものを飲み、食べる。自分だけのために。
自分の好きなTV番組を自由にのびのび、熱心に見る。
しかし365日これだと、絶対に退屈するだろう。
目前に控える年末年始、家族大移動がアタマをよぎる。
タオルはどうしよう?こちらからある程度、持って行こうか?
シーツ、布団はだいたいはあるものの、大丈夫か?
食品はオーダー品の他に、うちから持ち運ぶものや、むこうで買うもの、あれこれ。
調味料も一つ一つ、ケータリングのように持っていかなければ。
正月のお飾り、設は移民加拿大方法??

ぶら下げている姿をう

今日は認知症進行速度を緩める効力と、たんに自分が楽しいだけの、お読みになっても毒にも薬にもならない、つまらない内容です。

と、最初に前書きすると、迎合やら、ウケやら、感想やら、評価やら、気にせず気楽に書ける。
可愛いげがない長者助聽器價錢

で。
今日の文字、無駄遣いは、「思い出」。
高齢者にありがちな、「昔は良かった、、、自分は偉かった」
あるいは、「昔は大変だった。それに比べて、今の人は、どーこーあーこー」
に、今日はならない予定。あくまでも、予定であるが。

誰も知らない、無名中の無名人である、超個人的肉親の人物の思い出を辿る。
(蝶ブログには最低一度は綴っている)

父方の祖父。
わたしが3歳半で他界。(享年72歳)
記憶に残るのは優しい祖父。
廊下を渡る離れで、晩年は脳卒中で伏していた。
祖母が自宅で介護、看護。
祖父の部屋に行くと、袋物のお菓子を出してくれた。
後遺症のため手が不自由なので、脇に袋を挟んで、口に咥えて(歯で?)袋の端から開封していたのをよく覚えている急救課程
あとは、井戸前、蔵前の、家屋の壁に面して木製の120センチ?(150センチ?)ぐらいの大工道具入れ家具が置いてある土間スペースに立って、夜のおかずになるニワトリをぶら下げている姿をうっすら記憶している。
のだが、、、わたしが3歳半で亡くなり、それまでは病気だとすると、伏している期間は短く、病気発症はわりと遅かったのか?
でなければ、昼間、作業している祖父がわたしの記憶にあるとすると、0?2歳で覚えていることになり、わたしは天才級に記憶力が良いことになる。
そんなはずはないので、ニワトリ男性は別の人である可能性がある。
父はあまりそういう作業には関わらないので、その人物は父ではないとたぶん思うのだが、、、
ひょっとすると、母の兄(伯父)とか?
今となれば、確認のしようがない。
祖父の思い出は、お菓子と、お葬式当日だけ。
大人たちが大勢集まり、当時5歳半の姉と、いつもとは違う雰囲気に、はしゃいでいた。
姉が祖父の顔にかかっていた白い布をちらりとめくったりして、こっそりイタズラして遊んだ。
3歳半でも、記憶というものは強い。
心理学的には、幼い頃、災害や事故に遭うとトラウマになることだろう。
その3歳半を最後に、それ以前の幼い頃の記憶は祖父に関してお菓子以外にはあまりない。
子供は、日頃貰えない、既製品の市販のお菓子が印象に残っているのだと思う言語治療
兄や姉はわたしより歳が上なので、もう少し祖父のことを覚えているだろうけれど、わたしはお粗末な記憶しかない。
そう言えば、お葬式に遠方から来て参列した親戚の子供たち、兄弟(小学校低学年?)二人で大げんかをしていた。
それがお葬式の時なのか、法要の時なのか定かではないが。
二人とも、その後もよく知る人物だ。
わたしより弟は5歳ぐらい上、兄は7?(8?)歳ぐらい上。
団塊の世代である。

粒のようなもので

学歴と学力は違う。
博士号を取得しているある人が、若き日のわたしに言った。

「博士号は、僕にとっては足の裏に引っ付いているご飯粒のようなものです。
取らないと気になるだけです」

なるほど、言い得て妙。
博士号を取っていない、勉強嫌いの実践型タイプは、学者ではない租會議室尖沙咀
学者さんならやはり何か取らないと、、、と野次馬のわたしは思うのだが、学者さんではないのなら、別に必ずしも必要ない、、、と、「屋外のマスク着用は必ずしも必要ではない(岸田発言)」のような、あいまいなことも言ってみる。

ちなみに、わたしのピーク時の学力は中学3年生の時の、中学3年ぐらいの学力(そのまま)。
(他の生徒と比べて学年何位とかではなく、自分の今までの人生のなかで)
中学校の国語の授業は、新聞の「天声人語」を毎日、教材にしていた。
先生が課題にあげた漢字を同級生がさらさら書いているのを、カッコいい?と、うっとり見ていた。

さて、今のわたしの学力は、小学生の孫にぐんぐん追い越されている感がある。
「日本語で遊ぼう」シリーズの「ことわざカルタ」などは、完敗で、いまや5歳の3番目孫にも負けかけている。
「ばあちゃん、起きてる?」と言われる。
「あ、ごめん、寝てたわ」なら、サンドイッチマンのネタになる酒店式住宅

トランプのゲームで、「大貧民」という種目がある。
これは若い頃、よくやった。
最近、うちに数家族が集まると、手が空いているメンバーは、このゲームをする。
小学生孫たちは、メキメキ腕を上げている。
ゲームのルールを覚えたての頃は、やり方がよくわかっていなかったが、今や、ガンガン行く。
これがまた、性格がよく出る。
良いカードを大事に残して最後まで使い切れずに負けたり、ここぞという時に勝負に出たり。
カードの使い方が、上孫と次女が似ている。
最後まで持っておくタイプ。
また熟練すると、違う傾向の使い方をするようになることだろう。
あ、わたしは、あっさり負ける派。
最初から配られたカードが悪過ぎる、、、と、自己擁護。
知恵と熟考と機転と負けん気がない代わり、運だけで行っているのは、やはり性格が現れているように思う。
今や、メンバー補充要員的な役割で、頭を使わず場当たり。
アタマが緩くなるはずだ。
だが、勝つ時もあるので、面白いものだ。

学力と社会力も違うし、商才も違う。
知識は助けになることがある。
だが、邪魔になることはないにしても、先入観や決めつけは良くない。
柔軟性。
しなやかさと、したたかさ。
両方あれば良いのだが、これがまた両立は難しい大廈洗水缸