てはやされていると感

仏教系の色合いのある教えは、わりとすんなりこころに響く。
先入観からではない。
おそらく知らないうちに自然に、身に入っていたのだろう。

仏教は、何もしてくれない。
なぜなら、そのまま、ありのままを受け入れるわけで。
スーパーマンが突然現れて救ってくれるわけではない。
元々、「多くを望むな」というかんじか毛囊 角質化

昨夜、40年前に建てられたアパート住民たちの72時間を撮影した番組を観た。
造船業が盛んだった大阪市住之江区
(あいも変わらずNHKテレビ)
前から見たかった内容。
人は余計な贅肉を削ぎ落とされると、シンプルな生活になる。
断捨離やミニマリストとか、そういう時代の流行りに乗らされたような生き方がもてはやされていると感じる。
いかにも自分で考え選んだかのような錯覚に囚われている場合もあるが、いっそ選択肢がないほうが、なんだか純粋のように感じる。
有無を言わさず。
何十年も同じアパートに住む人々が助け合って暮らしていた。

朝から集会所でお酒を飲む60代男性。
明るい、綺麗な歯をした人だった。
(入れ歯かも知れないが。綺麗すぎる場合は、義歯はよくあること)
九州?だったかの7人?きょうだいの末っ子で中学2年の時に父親を(病気で?)亡くしたそうだ。
酒飲みで博打好きの、どうしようもない父親だったらしい。
お母さん、苦労しただろう去暗瘡印
わたしより歳下の男性なので、わたしは当時高校生か。
わたしは同じ時代を生きているにもかかわらず、全く接点はなかった。
法制度や福祉も同じ時代。
時代が違うからわからない、とは言えない。

そう言ってしまえば、今この瞬間に同じ時間を生きている人とも、接点がない人がほとんど。
時間は同じだが、場所が違う。
あるいは出没時間が少しズレて、平日と休日とで違うだけで、顔を合わせないこともある。
(例:通勤、通学の人々)

時間を問わないインターネットで知るぐらいではあるが、このインターネットはまたクセモノだ。
未成年が悪い大人に引っ掛かって被害者になるかのように、高齢者がこれまた詐欺師に引っ掛かるのも、手段は電話だったりするが、今はスマホも参入しているかも知れない。
自分は大丈夫だと思い込んでいる人ほど、危険性が高いらしい。

インターネットでしっかり知り合うのは、わたしの場合、30年間に2〜4人ぐらいなので、詐欺師から見ると騙す対象人数が少な過ぎて話にならない。
時間と人数の効率が悪すぎる。
しかも、知り合ったのは詐欺師だった経験はなく、皆さん、善良な市民。

それと、不思議なのは、、、
わたしの場合、時代遅れの環境にいたため、昔はお見合い結婚だったが、娘たちは(親や親戚、職場関係者など他者の尽力による)お見合いではなく、自力結婚。
さらに、その相手や背景も似たり寄ったり。
お見合い結婚でもないのに、環境の変化はほぼないところに驚く。
類は友を呼ぶのだろう。
大きな摩擦もなく、無事に行っている水原共生