息子に最後に問うていた

今朝、洗面所で何かを考えていて(忘れたが、しばらくしたら思い出すだろう)、それに関連したこととして息子のことが一瞬、頭をよぎった。
消息は絶っていないものの1年以上、顔は見ていない。
元気にしているとは思うが。
突然、涙が流れた加拿大Stream A移民

(ちなみに、息子はお年玉を電子マネーアプリで甥姪にあげていた)

夫は息子が後継として戻って来てくれることを心待ちにし、糧にし、毎日頑張っている。
心待ちにしすぎて、まだかまだか、いつ帰る?と、10年ぐらい前から息子に矢の催促。
息子はハッキリとした期日を示さなかった。そんな時期もあった。
やがて月日は経ち、明確な返事をもらえないまま、ついに自分が引退を考える頃になり、諦め半分、息子に最後に問うていた。
が、息子は首を縦に振らなかった。

わたしのこころの声。(決して口に出して言わない)
息子の気持ちを察しろ。嫌なものは嫌なんだ。
親の望む道に行って親孝行はしたいが、自分が行きたい道ではない。
自分が歩みたい道があり、今は道途中なのに、無理やり引き止め引き戻す気か?
親のエゴのために。
息子を板挟みの苦しい立場にさせていることがわからないのか。
夫と息子、善人同士のバトルを横で静かに見ているわたし。
誰が悪いわけでもないmyob 教學

歌舞伎役者や老舗の後継は、世間の目もあり大変だろう。
職業選択の自由を奪われる。
重い問題だ。


ちなみに。
姑は、自分が子供たちの役に立てなくなったら、子供たちの生活のリズムを乱さないよう、自分の健康に最大限、注意を払っているとよく言っていた。
わたしもその気分。
まだ少しぐらいは後方支援の最後方で「備え?スタンバイ要員」として位置しているが。
とは言え、1番下孫は1歳なので、何かしら引っ張り出されることもあるかも知れない。
が、娘たちはそれなりに親には面倒かけまいと、頑張っているようだ。
よほどのことでもないとSOSは発信しない。
逆にわたしの場合、姑たちが手を差し伸べ過ぎて甘すぎたかも知れない。
感謝はしているが。


涙にはいろんな意味がある。
言葉には出せないような、言葉に出来ないような、自分でも涙の理由が何なのかわからないような、そんな感情が涙となって現れる。
溢れ出る想いである。
流れる涙は無理やり止めることなく、自然なままに流すのがよいと思う輸入內地人才計劃

そう書いたら、偶然、別件でまたまた大泣き。
涙週間か。